アラフィフのアマチュアピアノ弾き 定期的なレッスンをやめてみる

3年半前にピアノを再開したアラフィフです。3年間ほど、1〜2ヶ月に一度、レッスンを受けていました。が、色々な事情で対面レッスンはやめました。

 

ピアノを再開した当時は、本当に何も知りませんでした。でも、3年経ってみると、音楽や演奏を学ぶ方法が、実は色々あることに気づきました。30年前と比べて、音楽関係の本を検索して購入するのも簡単、ユーチューブを見れば体の使い方もわかりやすい。ピティナ以外にも、さまさまな先生方が、有益な動画を沢山アップしてくださっています。

先生につくのは、自分では気づかない癖を知るという意味がありますが、これも、ステップやコンクールなどを受ければ代替できます。

最近では、動画を送るとコメントしてくださる先生方も増えてきました。

結局、一人の先生につく意味は、ゴッドファーザー的なものだと思うのです。人と人の繋がり、励まし、といったものは、ネット上では得られません。また、音楽というのは、その人の生き様のようなものとも密接であって、ネットで単発の関係で、そこまで感じとる事は出来ないですね。人間同士のやりとりの中で、考え方や感じ方を知り、それと音楽との関係に気づかされるという面もあると思います。最近では、SNSで色々発信している先生方も多いけど、ネットを通じたやりとりだけでは、やはり限界があるように思います。

これは、子供にとっての学校と同じかもしれませんね。知識は自習できるけど、考え方とか人間的な部分、やる気の涵養などは、直に集まらないと難しいです。

 

 音楽の場合は、正解が決まっている訳ではないのに、レッスンを受けると、他人の目が気になって、好きなように弾けなくなってしまう、というデメリットもあります。今は、録画や録音も簡単になっているので、自分が納得できるまで研究し、多くの人から多様なコメントをいただく方がいいのではないか、という気がしてきました。多様なコメントがあれば、一人のコメントにこだわったり引きずられなくて済みます。

 

レッスンに通うと、先生がお持ちのピアノを弾かなければなりません。色々なピアノに慣れる事は大事だけれども、残り少ない年月なのに、自分にとってベストと思えないピアノを弾いて、そのせいかうまく弾けなくて、というのを繰り返すことに意味があるとも思えません。

幸い、自宅には割と気に入ったピアノがあるので、これで録音して聞いていただくことができるはず。せっかくなのだから、録音技術を学んで、自分の頭で考えることをもっと追求していきたいと思います。

 

そもそも大人へのレッスン、特に趣味の大人へのレッスンに積極的な先生は多くないはず。でも、ヨーロッパにおいても、音楽の文化を支えていたのは、プロの音楽家だけではなく、それを応援するアマチュア、王族とか教会とか資本家、だった訳です。成長著しい子供の方が教えがいはあるだろうけど、もし、音楽を楽しむ期間が子供時代だけ、なのだったとしたら、しかも、それが、コンクールや音大入試やのためだけだったとしたら、音楽は「文化」とは言えないと思うのです。

大人だからこそ「文化」として音楽を楽しむことができるはずだと思います。