ショパン/エチュード  Op.25-12, c-moll 「大洋」両手のアルペジオ

30年ぶりにピアノを再開したアマチュアです。3年間、好きな曲だけを弾いていましたが、真面目に指の練習をすることにして、3ヶ月以上経ちました。

アルペジオの曲が割と続いていましたが、今回も両手アルペジオのこの曲。「大洋」の俗称がついています。でも、春うららかな、サーフィンする「太平洋」ではなくって、冬の荒波、日本海のイメージ。

 

この曲は、2〜3年前に挑戦し、半年程前にざっと暗譜したことがあります。なので、今回は、3回目の取り組みです。

これまで、どうして仕上がらなかったのかを考えるために、過去を振り返ってみる。

 

最初は、5と1の同音連打がうまくできずに四苦八苦。要は、手を縮めることができなかった。でも、この時は、どういう練習をしたらいいかを、突き詰めて考えることはなかった。たまに少しずつ練習しているうちに、右手については、いつの間にか、ある程度は弾けるようになった気がする。

左手は、拙い極みだったのだが、今回、1と5の二本の指だけで、音階練習をしていたら、1ヶ月くらいすると弾きやすくなった。手の角度を少し進行方向に傾けるだけで、自然に手が縮まるようになったので、1と5の同音連打が楽になったのだ!手の平は、尺取虫のように動くのではなくて、手のひらを平らにおいて少し手が開いた状態が基本だとして、左や右に回転させることで手が自然と閉じる、これの繰り返しの動きのような気がする。

 

半年前に暗譜した時に、アナリーゼっぽいこともしたのだが、少し難しい和音は、今でも怪しいまま。でも、和音記号を突き詰めるのはやめて、8小節とか、のフレーズの中で、どういう風に揺れがあって、ピークはどこなのか、などを考えるようにし始めた。

 

以前から疑問だったのは、右手の最高音を5の指を弾く時に、手首をあげるのか、下げるのか、ということ。これは、人によって意見が違うようで、腕の動きも時計方向なのか、反時計周りなのか、どうなんだろう、とずっと考えていた。

とりあえずの今の結論は、場所によって変えればいいんじゃないか、というもの。盛り上がってきたら、少し手首をあげたり、または少しテヌート気味にしたり。キラキラした音でさっと弾くところがあってもいいし。

最近、右手の5の指の使い方を見直したことが生きるといいな。

 

それよりも何よりも、今、自分で気になっているのは、4拍目が曖昧で、かつ急いでしまっていること。次の和音が頭に入っていないので、次の1拍目との間が開いてしまう。なので、3拍目から次の1拍目までを、繋げて弾く練習をすることにした。下りはdim.だけど、しっかり味わわないといけないな。

 

コラールにする練習なんて、面倒だと思っていたけど、今回初めてやってみたら、よりダイナミックに強弱をつける練習ができることもわかった。

コラールではなく、右と左を同じオクターブで弾くと、これまた中々美しく、どういう和音で音楽が推移しているのか、細かく味わうことができて、良い。

 

テクニックというか、メカニックを鍛えようと思って始めたエチュードだけれども、やはり音楽であるから、メカニックだけを切り離した練習には、限界があることを痛感。

というのは、いわゆる基本的な和音の場合は、ミスすることも少ないのに、少し珍しいというか込み入った和音だと、よく覚えていなかったり、指がすぐに動かず、ミスしたりする。これは、練習不足とか、指が回らないのが原因ではなくて、音が頭に入っていないことが原因だよね。

つまり、この曲も、音楽として弾かないと、これ以上は進歩しないんだろうな、と思う。当たり前すぎることなんだろうけど。遠回りしている、情けないアマチュア。でも、「人に言われて」だけでなく、「自分自身で(も)気づく」ことが大事だと思う。きっと一生忘れない。